植物セラピーの体験で、我慢の選択を胎児の時から選んだのを知って、子どもでいることの無邪気な感覚や感触を取り戻せたことで、素直に感じることや言葉にする事が嬉しくて一人遊びのように楽しみながら、観察していたトガトガした感覚は、刺さっていた"つまようじの栓だと気付きました。
気付いたので意識的になっていると、高次(自分を含む全体性)に不調和な波動があって、微細な感触が徐々に警告波動を出したように思い何に対してかを観察。
この氣づきに合わせるかのように出てきたのが押し込められていた"怒り"。
この”怒り”がある出来事の瞬間に爆発。 正気を離れ怒りが出まくりました。 どう出たかは表現しにくいですが地獄のようでした(苦笑)
小さなこの栓は、すごい怒りのエネルギーだったのです。
爆発した状態は半狂乱で暴れまくっている状態で表現しにくいので割愛します。
怒りが出てから何かが変。 解放で放心状態の後、暗黒の波が時折起きて破壊的な感覚に気色く悪くなります。 暗黒をどうしたらいいのか…瞑想もインナーチャイルドも知る範囲で向き合うも、明るい光が見えず、忘れていた苦しい感情や感覚が浮上しては嗚咽状態に…。
氣づかずにいた感情や感覚が出る度に解放していけるのはいいのですが、その後の破壊的な感覚はやはり気持ち悪い。 その感覚は怒り・空しさ・無視的無力さと破壊に即反応し、正気を保つのが大変な状態がつづいて…、困った。 無邪気さや純心さは何処へ!
マジ困った。
数日間、波のように訪れる感覚をなんとか制御しつつどうしたものかとあぐねいていました。
そして救いは必ず訪れる。 ある言葉が耳に飛び込んできました。
"何かを置いてきた"
なんのこっちゃ?っと思うでしょうが、私には大変意味のある言葉でした。
何を置いてきた? 怒が爆発した時、怒り過ぎてピュアな感覚にあった"無邪気さ"が見当たらないw!
"置いてきた"ってどこにだろう? と意識を"無邪気さ"に向けた瞬間と同時に身体の中心に安心の波動が来て、 気色悪さがなくなりました。
驚いたww
意識をした瞬間にすべてが同時に起きてた感じの体験。
今まで感じたことの無い安定した感をじんわり味わっています。
人間の体験はホントに面白い🙂
陰陽のどちらも自分の内にあり、その中道にいる事をここ数年目指さしてきて、 取り組み始めた頃の荒削りな葛藤は徐々に微細になって解放と統合の体験も深みを増し歓びを味あわせてくれます。
「細胞まで美しく」が体現したい事はいろんな体験をしていくんだね。 氣づきから解放統合のマニアックさを実感です(笑)
激しい解放は周りににも影響を起こしています。 解放をどう統合していくかに取り組んでいます。
統合の過程を観察です。
一つひとつの実践と体験が、本来の自分のために取り組んでいる方のヒントになる話やワークになっていけるといいなぁ~✨
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