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子どものように生きる


 前回のブログで、 子どもでいることを諦めた瞬間を追体験してから、感情の奥にあった、押し込めた感覚を塞いでいたつまようじの小さな栓を感じない。 その栓のが押し込めていたのは「純真無垢な無邪気さ」

心のうち側に素直に触れられる。本来の感覚なのだろうけど新鮮です。 なぜか甘いものが食べたくて仕方ありません(笑)


 1週間を過ぎた頃から、思うような行動が出来ない(好きにやれない)感情と感覚が現れてきた、体験前の思うように行動出来ない感じとは違う感触で、条件のない子ども的なわがままを通せない思いの感覚と同時にトガトガとした感覚。 (トガトガっていがついたトゲと熱を帯びた引っ掛かり…奇妙な表現と感触なのです)


 少しずつトガトガの感覚は治まりぼんやりな感覚が続いている。 治まったトガトガはなんなんだろう。観察しています。


 私たちは5歳までに人生を左右する行動の95%を確立し、潜在的に形成されたパターンによって人生の選択を行います。そして人は愛されるため、他者から認められるため、社会に居場所を得るために、周りに合わせて生きようとするのです。 それは生きていく上で身につけた戦略で、本来の歓びの行動ではないく、身につけたパターンは成功や失敗という人生論ドラマを創っていってしまいます。

植物セラピーで、幼少期や胎教がいかに大切かを全身で思いしった感じです。 私はお腹の中で諦めを選びひたすら我慢していたのですけど、胎教って言葉に違和感を感じました。

胎教ではなく胎響の方がしっくりくると思いました。


ウィキペデイアからの注釈↓ 胎教(たいきょう)とは、一般に妊婦が精神の安定に努めて、胎児によい影響を与えようとすることである。胎内教育ともいう↑


 子供は随分早くら"教育"が始まるんだね(苦笑) 心の安定に視点があるとお腹の中は心地よいだろうなぁ。 はやり「胎響」だよねと思うのです。


 私は子供がいないので、親の体験はわからない。 分かるのは親からの影響を大いに受けていた。ということ。 身につけた選択の葛藤を解消すると自分の本来の人生を生きると知って、一歩一歩歓びの人生に進んでくのを楽しんでいこう。


トガトガの観察につづく。

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